2010年04月03日

姫路城

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《姫路城》・・・兵庫県姫路市
《菱の門》
櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。城内で最も大きな門。


《西の丸》
天守閣の西面が際立って見える庭園で、南門跡近くには出陣する武者を集め、隊を編成した武者だまりがあります。
《姫路城西小天守(にしこてんしゅ)》
大天守の西南に位置し3重3階地下2階。東面は「ニの渡櫓」に、北面は「ハの渡櫓」に接続し、地階東面に「水六門」を備えて出入口とする。南面は中央に軒唐破風を設け、3重に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2所設け意匠を凝らしている。
《姫路城東小天守(ひがしこてんしゅ)》
大天守の北に位置し3重3階地下1階。南面は「イの渡櫓」に、西面は「ロの渡櫓」に接続している。西小天守・乾小天守と同じく2重の櫓部の上に望楼部をのせるかたちだが、外観上は完全に一体化しており、唐破風や火灯窓を備えていない。
《姫路城乾小天守(いぬいこてんしゅ》
三小天守の1つで天守台の西北隅(乾の方角)に位置しています。ほかに「東」「西」小天守があり、3つの小天守の中では一番大きく、外観3層・内部は地下1階・地上4階の造りになっています。
《姫路城大天守(ひめじじょうだいてんしゅ)》
南面を正面とし、天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)を飾っています。外観は千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっています。

お城のつくりを見ていると風水と密接に関係しているなぁと感じました。

『NHK総合 歴史秘話ヒストリア』 3/3(水)22:00〜放送
“姫路城 美と強運の400年物語 〜巨大迷宮の秘密を探る旅〜”という番組があり、ちょうど見たところだったので、とても興味深くこの『城』を見ることが出来ました。

《「白鷺城」と呼ばれる姫路城》
「白鷺城の名前はどこから?」
諸説ある中の一つで、黒い板張りの岡山城に対比して白漆喰総塗寵造の姫路城をこう呼んだという説や、城のある丘が「鷺山」とも呼ばれたところから、という説などからそう呼ばれていると。
・・・そういえば鷲羽山というところがあり、ここも姫路城と一緒に小学校の修学旅行で行きました(古っ)
《白くて美しいお城》
しかし、一歩足を踏み入れると、天守に向かう道のりには、待ち伏せや挟み撃ちのワナが至る所に張り巡らされている。美しさの裏には、本来の目的である戦いのための真の姿が隠されている。お城をめぐるときにどこに注意しながら歩けばいいのか、お城を訪ねる人必見の、お城の楽しみ方完全ガイド番組でした。
《築城ラッシュ》
姫路城をはじめとする、全国の有名な城の多くが、今築城400年を迎えています。なぜ多くの城が400年前に一斉に作られたのか?
それは、江戸時代初めの、徳川vs豊臣の攻防が秘められていたのです。
秀頼を守りたい豊臣恩顧の大名、対して秀頼を追いつめたい徳川家康、両者の駆け引きが多くの名城を生みだしていったのだそうです。
《幸運に守られたお城の“奇跡”》
「昭和の改修工事の様子」
江戸城、大阪城、名古屋城・・・。名城といわれる城の多くは、火事で焼けたり、取り壊されたりして失われた。現在、天守を持つ城は全国におよそ60。
その中で江戸時代からの天守が残るのは、12城にすぎず、その一つ、姫路城は築城当時の姿をとどめる貴重な城として世界遺産に登録されています。
そんな姫路城もただ安泰に400年生き続けた訳ではなく、倒壊の危機、解体の危機、空襲の危機、数々のピンチを乗り越えて美しい姿を残す姫路城の“強運の奇跡”の物語があるのだと紹介していました。
「第二次世界大戦」
太平洋戦争にあって、姫路城の白壁は非常に目立ちアメリカ軍の爆撃対象とされるのが明らかだった為、黒く染めた網で城の主要な部分を覆い隠します。
1945年(昭和20年)7月3日の姫路大空襲で姫路城下は灰燼と帰する。
城内にも着弾するが、西の丸に着弾した2発は不発、すぐに消火されました。
大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発であったことなどにより、城郭建築の焼失は免れたのです。
焦土の中に無事に建つ姫路城を見て、城下の人々は涙したと話していました。

「姫路城が23円50銭で売られた?」
明治時代、廃藩置県が実施され、明治6年の廃城令によって日本の城の多くが破却された。
姫路城は競売の結果、一般人が城の瓦を売るのが目的で23円50銭(現在の約十万円)で落札したが、一般家屋に転用するには城の瓦は大きすごて重く、解体費用がかかりすぎるので権利を放棄、その後国が買い上げ、昭和の大修理・平成の修理を経て今日のような美しい姿を保っているのだそうです。

《姫路のお菓子といえば・・・》
“御座候(ござそうろう)”
大判焼き、今川焼き、太鼓焼きなどいろいろな呼ばれ方が違う丸い焼き饅頭。姫路では“御座候(ござそうろう)”という名前の回転焼きが有名です。
阪神百貨店にも入っています。北海道産小豆を使ってあり甘ったるくなく、ボリュームがあって絶品です。
・・・今日も1個づつ食べました。
伊勢屋本店の“玉椿”
長寿・子宝を願うと語源がある“椿”に見立てたお菓子です。
淡いピンクのやわらかい求肥で白あんを包んだ、上品な感じのお饅頭です。
“塩味饅頭”
姫路の菓子製法と赤穂産の塩を合わせた赤穂饅頭です。
外が塩辛く、中が甘い、好き嫌いが極端なビミョウな味のお饅頭です。
・・・ちなみに私は×です(笑)
世界遺産・姫路城は、1346年築城。その後、関ヶ原の戦いの戦功により池田輝政が入城。
輝政は、徳川家康から豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制(勢いを姫路城で食い止める)命を受け、1601年に大改修で広大な城郭を築きます。


久しぶりの晴れで桜も咲いていたので、すごい人でした。

《追手門・現在の姫路城への入り口となる門》から入ります。




Husとで、姫路城へお花見に行って来ました



《お濠の外側にある石の碑》


《西の丸長局(百間廊下)》
将軍徳川秀忠の長女千姫は、大阪落城の後、本田忠刻に再嫁し姫路城西の丸で過ごしました。


千姫に仕えた侍女たちが居たところで、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。
百間廊下の名前の通り、とても長い廊下の片側にたくさんの部屋がありました。足が冷たかったです〜。。


《化粧櫓》
西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。


百間廊下を出て、外から撮ったところ。


《お菊井戸》
「播州皿屋敷」に出てくる有名な井戸です。
城主の執権である青山鉄山が城の乗っ取りを計画していることに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴くが青山一家のクーデターは成功。その後もお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送るが、町坪弾四郎に気づかれてそれを盾に結婚を迫られる。
しかし、お菊はそれを拒み腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込む。
それから、毎夜「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったという話です。


意外に大きな井戸にびっくり。


「狭間(さま)の数は?」
鉄砲狭間、矢狭間の数は、約3,000箇所、現在残っているのは997箇所。
侵入者を見張り、そして侵入者めがけてこの穴から矢や鉄砲で攻撃を仕掛けるために作られているもので、丸と三角は鉄砲、長方形は弓を放つ窓で、それぞれの組み合わせや並びはバランス良く配列され、戦いの仕組みとしてだけではなく美しさを持ち合わせています。


満開とまではいきませんが、かなりの木の桜が咲いていました。


やっぱり・・・城に桜はよく似合う。

posted by しろにゃん at 23:27| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする