2015年09月29日

今治城

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《今治城》・・・愛媛県今治市

別名:吹上城、吹揚城
城郭構造:輪郭式平城(海城)
天守構造:5重不詳諸説あり(非現存・慶長13年(1608年))
望楼型5重6階模擬(RC造・昭和55年(1980年)築)
築城主:藤堂高虎
築城年:慶長7年(1602年)
主な城主:藤堂氏、松平(久松)氏
廃城年:明治6年(1873年)
遺構:石垣、堀
再建造物:模擬天守、鉄御門、多聞櫓5棟、石垣、東隅櫓、山里櫓、武具櫓

築城の名手・藤堂高虎公
関ケ原の戦いの功績により、伊予半国20万3千石の領主に任命された。当時今治地域の中心の山頂に国分山城があったが、高虎公はこの山城を捨て現在の今治に城を築いた。
高虎は、近江の人。後半生の家康の側近となってからは天下人の参謀として築城家として能力を発揮。関ケ原の戦い以後は江戸城をはじめてとして多くの城の縄張りを行い、質・量ともに最高の築城家と評価される。
今治城はこれらの城の原型ともいえる城で高虎の築城思想が盛り込まれている素晴らしいお城です。

手前の駐車場に車を停めました。
お堀は海につながっており潮の満ち引きにより水位が変わる。
ボラやチヌ等の海水魚も泳いでいるし、堀底から真水が湧いている為に淡水魚も泳いでおり、多様な生物が生息する珍しい堀である。
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現在地はココ!!
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藤堂高虎公の像と今治城
武将の像では珍しく平服姿の騎馬像。時代を先取りし平和な時代の城づくりや城下町の発展を考えた高虎像。
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中へ入ります。
枡形虎口(ますがたこぐち)と鉄御門(くろがねごもん)
枡形虎口とは、石垣や土塁で囲まれた四角の広場(枡形)を伴う城の出入口(虎口)のこと。
特に強固にする場合、内側と外側に2門を設け周囲を長屋状の多門櫓で囲む。この形は史上初めて今治城で完成し、各地の城に普及した。鉄御門は格式の高い城にしかない特別な城門。
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石垣
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入口
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階段を上って6階展望台へ
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空中写真
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単純な城の形・・・これまでの迷路のような形の城と比べ、四角形を基本とする単純な形の城。
城の形が単純である為各所に守りを固める工夫をしている。
内堀は幅が50〜70mもあり弓矢の射程距離を上回る広さが有り。石垣の高さは9〜13mで砂の上に建つ石垣としては驚異的な高さ。石垣の周りにある“犬走り”は地盤強化のために設けられた。

お城を後に帰る車中からは、犬走りがしっかり見えたし写真にも写っていました。
へぇぇぇ〜。さすが築城の名手・高虎さま素晴らしいです。
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展望台からぐるっと一周廻って見ました。

土橋、高麗門、鉄御紋のある方向です。
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山里櫓・・・二の丸西隅の二重櫓。城内の庭園「山里」の方向に位置する場所のためこの名前がついた。
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来島海峡
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向うの方に“来島海峡大橋”が見えました。
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日本屈指の海城
かつては内堀、中堀、外堀の三重の水堀で囲まれ、堀には海水が流入していた。内堀の端は広い港湾になっており城内の港としては日本最大で、その場所が今の今治港になる。
今治城の構えは海を意識しており、瀬戸内海を監視する役割があったと考えらる。
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想像していたよりも意外に良かったお城でした。
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2015.(H27).9.19
posted by しろにゃん at 17:35| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松山城

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《松山城》・・・愛媛県松山市

別名:金亀城、勝山城
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:連立式層塔型3重3階地下1階
(1852年 再)
築城主:加藤嘉明
築城年:慶長7年(1602年)着手し1627年に完成。
主な城主:加藤嘉明、松平
廃城年:明治6年(1873年)
遺構:天守、櫓、門、塀、井戸、石垣、土塁、堀
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松山市の中心部、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、山麓に三之丸を置く連郭式平山城で、敵の芯の侵入を防ぐため、二の丸を取り囲むように山麓から本丸にかけて、全国的にも珍しい「登り石垣」が配されている。
日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の現存12天守の一つ。
日本三大連立式平山城(姫路城・松山城・和歌山城)のうちの1つである。

1784年落雷で天守焼失。1820年天守再建にかかるが着工16年で定道の逝去と火災で頓挫。その後、松平勝善が1847年着手し1854年に天守が復興した。これが現存の天守で、姫路城と並ぶ典型的な連立式天守をもち、慶長期の様式を引き継ぐわが国最後の完全な城郭建築といわれている。
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城山8合目までひとっ飛びのロープーウェイ&リフトで空中散歩しながら松山城へ。
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いざ、中へ
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お城といえば“石垣”
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スバラシイ石垣です。
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小天守からみた大天守
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下の様子
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良いですね〜木の階段
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大天守の内部・・・松山城大天守の不思議
天守とは戦闘の時こそ存在価値がある。防衛の要として一大事の時だけ籠城。生活の場ではない為トイレも炊事場もない。床は板張りで天井板もないのが通例。しかし松山城は一重、二重、三重とも天井板があります。
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さらに床の間も設えられ、襖を入れる為の敷居まであり畳の敷ける構造になっている(この段差は姫路城にもあった様な・・・)
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天守閣最上階
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西の方角
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外から見た大天守・・・ここからしか大天守の姿は見られない(と思います)
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松山城の高さは海抜132m 天守の高さは約21m也。
       『松山や 秋より高き 天守閣』 by 子規
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2015.(H27)9.18
posted by しろにゃん at 17:33| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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