2013年01月08日

犬山城

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《犬山城》・・・愛知県犬山市
別名:白帝城(はくていじょう)
平山城
築城:1537年、織田信康(信長の叔父)
・・・
1617年、尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、以後江戸時代を通じて成瀬家9代の居城となりました。
2004年3月時点、日本で唯一個人所有の城でしたが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管します。

標高80mの断崖上に立ち、小さいながらも美しい、現存天守を持つお城です。
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砂利の坂道を歩き進んでいくと、門が見えてきました。。
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門をくぐり抜けて・・・
中央が弓なり状にせりあがっている“唐破風”が見えます。
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正面から見た現存の天守は素晴らしい。。さすが現存天守を持つ城の一つ犬山城です。
お城=天守ではないというけれど、やっぱり現存天守は特別な存在。
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中央の階段から中へ入ります。

地下1.2階・・・天守の出入り口があり、天守を支える石垣や太い梁が見られます。
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階段を登ったら石垣と太い梁にびっくり!!昔の人はよくこんな大きい石を運んだなぁと感心。
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1階・・・中央部に第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間の4室に分けられ、それらを武者走が取り巻いています。
城主の部屋である“上段の間”は、高くした床に畳が敷き詰められ、床、違い棚が設けられた書院造の間です。
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2階・・・中央が武具の間で武具棚が備えられ、その周囲を武者走りが巡っています。
犬山城の模型もありました。(そうそう〜この階段を上って・・・て、建物の構造がよくわかりました)
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3階・・・南北に施されている唐破風は成瀬氏によって増築されたといわれています。
東西には入母屋破風が施されています。
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この階は、全体に暗〜い感じの階でした。
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犬山城の見どころは、三重四階地下二階の現存天守。
いよいよ登ってきました!! 最上階です。

4階・・・最上階は、真壁造(しんかべづくり)なのが特徴で、外壁の柱や桁、長押(なげし)などを塗籠めずに木材をそのまま見せる格調の高いもので、防火性が低く希少なものだそうです。
赤い絨毯がインパクト大でした。歴代城主の絵写真が展示されていました。 
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望楼・・・回廊は成瀬氏により増築され、高欄と廻縁(まわりえん)がまわる望楼となっています。
高欄付きの廻縁も特徴。風雨にさらされて腐朽しやすいでしょうね。

天守最上階の廻縁からの眺望
欄干が低くて床が外に向かって斜めに傾いていてちょっと怖かったけど、見晴らしがよくて気持ち良い〜!!

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外に出て眺望を楽しめるのが素敵。外の廻縁からは、木曽川や岐阜県、小牧、名古屋まで見渡せます。
北、木曽川が流れています。
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そのまま残っている木の階段は良いです。下りる時は怖いからゆっくりです。
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こじんまりとしているのに、たいへん魅力的なお城です。
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2012年04月08日

二条城

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《二条城》・・・京都府京都市中京区
平城。
築城:1601年、徳川家康。1623年、徳川家光。
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二条城は、家康上洛時の宿泊所で、家光が後水尾天皇の行幸のために増改築したお城で、江戸時代の始まりと終わりを象徴的に示す場所となりました。

《二条城の歴史》
1603年 二条城(現在の二の丸部分)完成、徳川家康入城。
1626年 徳川第三代将軍家光が城の拡張を行い、本丸・二の丸・天守を完成させる。
1863年 徳川家茂が徳川家光以来230年ぶりに入城。
1867年 徳川慶喜が二の丸御殿大広間で大政奉還を発表。
1884年(明治17年) 二条離宮となる。
1939年(昭和14年) 宮内省が二条離宮を京都市に下賜、現在に至る。


二の丸御殿の「車寄」
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さすが世界遺産の風格
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内部は撮影禁止なので、ここから写真はありません(残念)
大広間・・・15代慶喜が大政奉還をした部屋。
勅使の間・・・将軍が朝廷からの使者(勅使)を迎えた対面所。
白書院・・・将軍の居間・寝室だったところ。
       家相学に基づいて白書院が最も北西になるよう配置されているのだそうです。
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小堀遠州が作庭した、二の丸庭園の梅は見応えがあります。
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鶯張りの廊下は、キュッキュッと音がします。不審者を知らせる様に作られたそうです。
これを作った職人さんは素晴らしいですね。きしみとは思えないほど綺麗な音が出ます。
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天守跡。
1750年、落雷で焼失して以来再建されず、今は天守台のみが残っています。天皇が昇った唯一の天守。
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天守台から見た梅林
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東南隅櫓
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2011年09月03日

首里城

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《首里城》・・・沖縄県那覇市
別名:御城(ウグシク)
城郭構造:山城
築城主:不明
築城年:14世紀末
主な城主:第一尚氏(だいいちしょうし)、第二尚氏
廃城年:1879年(明治12年)(首里城明け渡しの年)

首里城は14世紀頃創建。1406年に琉球王国支配のための居城として1879年までの約500年栄華を誇った処。
1945年沖縄戦で廃墟に帰した後、沖縄の本土復帰20周年を記念して1992年に復元されました。

《守礼門》
二層の赤屋根の門
扁額の『守禮之邦』とは、“礼を重んじる国”という意味だそうです。
前に行った時は、閉館時間を過ぎていたので守礼門の前で写真を撮っただけ。
今回はゆっくり中を見て周れて大満足。


《園此屋武御獄石門》


国王が出御の時、道中の安泰をこの石門前で祈願した、世界遺産。


正殿へ向うまでにはたくさんの門があります。


魔除けの意味のシーサー


《漏刻門》

櫓の中の水時計で時刻を計ったことで名付けられた門。
別名「かご居せ御門」と言われ、身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠を降りたそうです。


《首里森御獄(すいむいうたき)》

城内にある礼拝所のひとつで、「神が作られた聖地」



《正殿》
中国と日本の建築文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的価値があるとされ、2000年に首里城は世界文化遺産に登録されました。
庭を取り囲んで三方に建物がある建築様式は、中国のそれと同じ造りだなぁ〜って思いました。


《唐破風妻壁(からはふつまかざり)》
中央に、火焔宝珠(かえんほうじゅ)と大蟇股(だいかえるまた)。
両脇に金龍・瑞雲の彫刻があります。

その下、向拝部奥小壁には・・・《牡丹唐草》と《獅子と金龍》

大屋根には、大きな龍がのっています。


《正殿大龍柱(だいりゅうちゅう)  呼形・・・左・阿形・・・右》


NHKドラマ【テンペスト】に出てくる場所がいっぱい。歴史を感じます〜。




この椅子に座って・・・


外を眺めると・・・


外から見た時には、こんな感じなんでしょうねぇ。。すごい!!


ラベルの↑上は復元後の石。↓下は復元前の石。違いが判ります。。


きれいな石の坂道


アカギの大木




首里杜館・・・ここがスタート&終点。この下が駐車場になっています。


入り口の目印になっているシーサーです。
暑い・暑い。。


やっぱり来て良かった!!沖縄の歴史がよ〜く判りました。
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2011年05月22日

彦根城

ひこにゃん
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2010年04月03日

姫路城

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《姫路城》・・・兵庫県姫路市
《菱の門》
櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。城内で最も大きな門。


《西の丸》
天守閣の西面が際立って見える庭園で、南門跡近くには出陣する武者を集め、隊を編成した武者だまりがあります。
《姫路城西小天守(にしこてんしゅ)》
大天守の西南に位置し3重3階地下2階。東面は「ニの渡櫓」に、北面は「ハの渡櫓」に接続し、地階東面に「水六門」を備えて出入口とする。南面は中央に軒唐破風を設け、3重に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2所設け意匠を凝らしている。
《姫路城東小天守(ひがしこてんしゅ)》
大天守の北に位置し3重3階地下1階。南面は「イの渡櫓」に、西面は「ロの渡櫓」に接続している。西小天守・乾小天守と同じく2重の櫓部の上に望楼部をのせるかたちだが、外観上は完全に一体化しており、唐破風や火灯窓を備えていない。
《姫路城乾小天守(いぬいこてんしゅ》
三小天守の1つで天守台の西北隅(乾の方角)に位置しています。ほかに「東」「西」小天守があり、3つの小天守の中では一番大きく、外観3層・内部は地下1階・地上4階の造りになっています。
《姫路城大天守(ひめじじょうだいてんしゅ)》
南面を正面とし、天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)を飾っています。外観は千鳥破風(ちどりはふ)・大千鳥破風・唐破風(からはふ)を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっています。

お城のつくりを見ていると風水と密接に関係しているなぁと感じました。

『NHK総合 歴史秘話ヒストリア』 3/3(水)22:00〜放送
“姫路城 美と強運の400年物語 〜巨大迷宮の秘密を探る旅〜”という番組があり、ちょうど見たところだったので、とても興味深くこの『城』を見ることが出来ました。

《「白鷺城」と呼ばれる姫路城》
「白鷺城の名前はどこから?」
諸説ある中の一つで、黒い板張りの岡山城に対比して白漆喰総塗寵造の姫路城をこう呼んだという説や、城のある丘が「鷺山」とも呼ばれたところから、という説などからそう呼ばれていると。
・・・そういえば鷲羽山というところがあり、ここも姫路城と一緒に小学校の修学旅行で行きました(古っ)
《白くて美しいお城》
しかし、一歩足を踏み入れると、天守に向かう道のりには、待ち伏せや挟み撃ちのワナが至る所に張り巡らされている。美しさの裏には、本来の目的である戦いのための真の姿が隠されている。お城をめぐるときにどこに注意しながら歩けばいいのか、お城を訪ねる人必見の、お城の楽しみ方完全ガイド番組でした。
《築城ラッシュ》
姫路城をはじめとする、全国の有名な城の多くが、今築城400年を迎えています。なぜ多くの城が400年前に一斉に作られたのか?
それは、江戸時代初めの、徳川vs豊臣の攻防が秘められていたのです。
秀頼を守りたい豊臣恩顧の大名、対して秀頼を追いつめたい徳川家康、両者の駆け引きが多くの名城を生みだしていったのだそうです。
《幸運に守られたお城の“奇跡”》
「昭和の改修工事の様子」
江戸城、大阪城、名古屋城・・・。名城といわれる城の多くは、火事で焼けたり、取り壊されたりして失われた。現在、天守を持つ城は全国におよそ60。
その中で江戸時代からの天守が残るのは、12城にすぎず、その一つ、姫路城は築城当時の姿をとどめる貴重な城として世界遺産に登録されています。
そんな姫路城もただ安泰に400年生き続けた訳ではなく、倒壊の危機、解体の危機、空襲の危機、数々のピンチを乗り越えて美しい姿を残す姫路城の“強運の奇跡”の物語があるのだと紹介していました。
「第二次世界大戦」
太平洋戦争にあって、姫路城の白壁は非常に目立ちアメリカ軍の爆撃対象とされるのが明らかだった為、黒く染めた網で城の主要な部分を覆い隠します。
1945年(昭和20年)7月3日の姫路大空襲で姫路城下は灰燼と帰する。
城内にも着弾するが、西の丸に着弾した2発は不発、すぐに消火されました。
大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発であったことなどにより、城郭建築の焼失は免れたのです。
焦土の中に無事に建つ姫路城を見て、城下の人々は涙したと話していました。

「姫路城が23円50銭で売られた?」
明治時代、廃藩置県が実施され、明治6年の廃城令によって日本の城の多くが破却された。
姫路城は競売の結果、一般人が城の瓦を売るのが目的で23円50銭(現在の約十万円)で落札したが、一般家屋に転用するには城の瓦は大きすごて重く、解体費用がかかりすぎるので権利を放棄、その後国が買い上げ、昭和の大修理・平成の修理を経て今日のような美しい姿を保っているのだそうです。

《姫路のお菓子といえば・・・》
“御座候(ござそうろう)”
大判焼き、今川焼き、太鼓焼きなどいろいろな呼ばれ方が違う丸い焼き饅頭。姫路では“御座候(ござそうろう)”という名前の回転焼きが有名です。
阪神百貨店にも入っています。北海道産小豆を使ってあり甘ったるくなく、ボリュームがあって絶品です。
・・・今日も1個づつ食べました。
伊勢屋本店の“玉椿”
長寿・子宝を願うと語源がある“椿”に見立てたお菓子です。
淡いピンクのやわらかい求肥で白あんを包んだ、上品な感じのお饅頭です。
“塩味饅頭”
姫路の菓子製法と赤穂産の塩を合わせた赤穂饅頭です。
外が塩辛く、中が甘い、好き嫌いが極端なビミョウな味のお饅頭です。
・・・ちなみに私は×です(笑)
世界遺産・姫路城は、1346年築城。その後、関ヶ原の戦いの戦功により池田輝政が入城。
輝政は、徳川家康から豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制(勢いを姫路城で食い止める)命を受け、1601年に大改修で広大な城郭を築きます。


久しぶりの晴れで桜も咲いていたので、すごい人でした。

《追手門・現在の姫路城への入り口となる門》から入ります。




Husとで、姫路城へお花見に行って来ました



《お濠の外側にある石の碑》


《西の丸長局(百間廊下)》
将軍徳川秀忠の長女千姫は、大阪落城の後、本田忠刻に再嫁し姫路城西の丸で過ごしました。


千姫に仕えた侍女たちが居たところで、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。
百間廊下の名前の通り、とても長い廊下の片側にたくさんの部屋がありました。足が冷たかったです〜。。


《化粧櫓》
西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。


百間廊下を出て、外から撮ったところ。


《お菊井戸》
「播州皿屋敷」に出てくる有名な井戸です。
城主の執権である青山鉄山が城の乗っ取りを計画していることに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴くが青山一家のクーデターは成功。その後もお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送るが、町坪弾四郎に気づかれてそれを盾に結婚を迫られる。
しかし、お菊はそれを拒み腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込む。
それから、毎夜「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったという話です。


意外に大きな井戸にびっくり。


「狭間(さま)の数は?」
鉄砲狭間、矢狭間の数は、約3,000箇所、現在残っているのは997箇所。
侵入者を見張り、そして侵入者めがけてこの穴から矢や鉄砲で攻撃を仕掛けるために作られているもので、丸と三角は鉄砲、長方形は弓を放つ窓で、それぞれの組み合わせや並びはバランス良く配列され、戦いの仕組みとしてだけではなく美しさを持ち合わせています。


満開とまではいきませんが、かなりの木の桜が咲いていました。


やっぱり・・・城に桜はよく似合う。

posted by しろにゃん at 23:27| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

名古屋城

名古屋


『尾張名古屋は城で持つ』の3度めの

名古屋城
http://www.nagoyajo.jp/






ストールと日傘と長そでカーディガンでしっかり紫外線防止をしていたのですが、写真を撮るため日傘を畳んだので、太陽をもろに受けてとってもまぶしかったです。。


これから中に入ります。


金の鯱鉾。


天守閣から見た、名古屋市街地のようす。




実際の石垣の刻紋です。


左手の奥の方の屋根があるところの前に鹿が座っていました。
じっとして動かないのですが、みんなが見ていました。




posted by しろにゃん at 23:16| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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